パ リ 街 角 散 策 日 記       2005/05/24-06/07

現地からアップしたものに補筆した(06/09)

この写真をクリックすると、動くパノラマでご覧になれます

 

W社主催の「ガイドブックにないパリと印象派の旅」(6泊8日)に、妻と参加した。市の中心街にあるホテル(HOTEL BURGUNDY)に6連泊して、印象派ゆかりの地を訪ねようという企画の旅だ。その後 ツアーと分かれて、プライベートで同じホテルに7泊して、パリ市内を歩いてみた。

 

 24日(火) 16:00時(現地時間)にパリ到着

 

  成田を10時25分に発って、パリのド・ゴール空港に16時少し前に着いた。12時間ほどの搭乗だった。写真は、バルト海付近のもの。機内では、私の好きな逢坂 剛の百舌シリーズ第5段となる「鵟の巣」を読んだ。最近文庫になったもので、560ページほどの大作。前作から登場している警察内部の腐敗と戦う杉田や倉木美紀、それに今回の悪女の洲走との壮絶な戦いに息をのむ思い。12時間の搭乗時間も短く感じられるほどだった。

ホテルは市内の中心部にある「ホテル・バーガンディ」、部屋もきれいだし日本のTVもうつるので、とても快適だ。

  

 
 ← 中程に深紅の屋根が見えるのが泊まった HOTEL BURGUNDYで、
奥に見えるのがマドレーヌ寺院

 

 

 

 25日(水) モンマルトの丘からリュクサンブール公園、モンスリー公園へ行って来た。

一行20人とガイドはバスで、市の北にある丘のフニクラ乗り場へいく。短いフニクラに乗って丘の上に行くと、そこはサクレ・クール寺院と画家たちが絵を売ったり似顔絵を描いたりするにぎやかな テルトル広場に出る。そこからは歩きながら、古い町並みやモンマルトル美術館(ユトリロが住んでいたところ)でロートレック達の絵を見た後、ムーロラン・ ドウ・ラ・ギャレット(ルノアール)の絵で有名なレストランで昼食を摂った。その後、リュクサンブール公園で日光浴を楽しむたくさんのパリジャン達に驚きながら、RER(高速郊外鉄道)に乗って市の南にあるモン スリー公園で散策を楽しんだ。 晴天に恵まれ、歩くと暑いくらいの陽気。

フニクラ、サクレ・クール寺院、テルトル広場の似顔絵描き

 

ノルバン通りとユトリロの絵(左が1910年26歳、右が1939年頃のもの)(新潮社「ユトリロと古きよきパリ」から)
 

ユトリロと母のシュザンヌヴァラドンが住んだ家(今は美術館)、ピカソなどの画家達が住んだ洗濯船跡(1970年に焼失)、当時の洗濯船(JTB 「街物語パリ」から)、ムーラン・ルージュ

 

ムーラン・ド・ラ・ギャレット、ユトリロの絵(1940-45頃−「新潮社 ユトリロと古きよき時代」から)、同名のルノアールの絵(1876年−「岩波書店 世界の巨匠」から)

 

ゴッホが弟のティオと2年間過ごした家(4F右の二部屋)、藤田嗣治が住んでいた家

 

 

リュクサンブール公園で日光浴を楽しむ人たち、モンスリー公園でポニーに乗ってる子供達

 

 

日暮れ時( 21時半頃)コンコルド橋から見たセーヌ川の上流側(左にルーブル・右にオルセー美術館)と下流側

 

 26日(木) ゴッホ・ルノアール・モネが絵にした場所を訪れ、彼らの生涯に感慨を深くした。

ゴッホが晩年の2ヶ月間(1890年6-7月)過ごしたオーヴェル・シュル・オワーズの村は、パリからバスで1時間ほど北にあり、 オワーズ川と麦畑の広がる長閑なところだ。そして今は、ゴッホを訪ねる多くの観光客を迎える村という感じだ。住んでいたラ・ヴー亭、村役場、教会や烏 が群れ飛んでいる麦畑の姿が当時のまま目の前に現れるのは驚きだった。

そこからバスで30分ほどで、ルノアールが「船遊びの人々の昼食」を描いたことで知られるレストラン「フレネーズ」へ着く。川面に面した2階が、絵になったところで、当時のまま使われている。ここで昼食。

そこから1時間で、ジベルニーにあるモネの睡蓮で知られるモネの家がある。有数の観光地という感じで大きな駐車場、ごった返す観光客で行列だった。大きなモネの家は収集した浮世絵(130点ほど)、描いた絵の複製、食器やベット・夫妻の写真などが展示されている。有名な睡蓮もちらほら咲き始め、沢山の花が満開だった。雪のような木の花の先殻?が水面や地面を覆っているので、池の様子が一寸綺麗とは言えなかった のが残念。この付近は湿気が多く気温も30度近いので、日本の夏のような暑さだった。

帰途エッフェル塔近くで、ダイアナ妃が事故にあった地下道を通過したが、悲しみを禁じ得ない。今でも多くのファンが追悼に訪れるという。

朝マドレーヌ寺院前を出発、教会で記念撮影、ゴッホ「オーヴェールの教会」(1890年 「岩波書店 世界の巨匠 ゴッホ」から)

 

ザッキン作のゴッホ像、ラ・ヴー亭、3階の屋根裏部屋(4畳くらいか)、

 

ゴッホ(左)と弟の墓、「荒れ模様の空に烏の群れ飛ぶ麦畑」(1890年 新潮社 「ゴッホ巡礼」から)、絵とそっくりの風景が広がる麦畑

 

ルノアール「船遊びをする人々の昼食」のモデルのレストラン・フルネーズ、2階にある描かれた場所、レストランに飾られている絵

 

モネの家と睡蓮と太鼓橋のある池

 

ダイアナ妃が事故に遭われた地下道(バスから撮影)、その上はアルマ広場となっていて、フランス・レジタンス運動闘士の記念碑があるが、追悼碑のようになっているという

 

 27日(金) 自由行動日だったので、オープンツアーバスに乗った。

このバスは4コース(パリ本、モンマルトルの丘、ベルシー、サンジェルマン)あり、そのうち見所の多い本コース(2時間半くらい)に乗った。バスは2階建てで、上には屋根がないので視界がとてもいいのだが、真夏の陽気だったので肌がじりじりするほど暑かった。外国の女性はこの暑さも気にしないようで、タンクトップで楽しんでいた。ほとんど満員だったが、日本人はあまり見かけない。乗り降り自由で4コース乗り放題と、使い勝手もよい。日本語のイヤホーンガイドもある。お昼は久しぶりに讃岐うどん(国虎)に舌鼓を打った。四国出身の経営者だけあって、とても美味い。

マドレーヌ大通りをゆくパリジェンヌ、オペラざ座ガルニエ、このバスに乗った、ルーブル美術館、カルーゼルの凱旋門、ノートルダム寺院

 

オルセー美術館、ブルボン宮、コンコルド橋からのエッフェル塔とアレクサンドル3世橋、コンコルド広場(1793年にはルイ16世がここでギロチンにかけられ処刑された、後を追ってマリーアントワネット妃、その後3千人に上る人が同じ運命をたどったという)、グラン・パレ

 

 

ルイ・ヴィトンの巨大なバッグ(シャンゼリゼ大通り)、お馴染み凱旋門とエッフェル塔、アンバリット廃兵院、ホテル近くのマドレーヌ寺院

 

 

 28日(土) 朝市をみた後、マルモッタン美術館とオルセ美術館で名画を鑑賞した。

朝市の会場はエッフェル塔近くのサックスブルトウユだ。住宅街にあり、客も上品で品物もいいという。東南アジアのそれとは、趣を異にする。マルモッタン 美術館は鉱山で財をなした人が、モネとの縁もあって、それを中心に展示している。残念ながら撮影は禁止だった。オルセは知られているように、ルーブルとはセーヌ川を挟んで対峙している。1900年のパリ万博のための駅舎だったが、39年に使われなくなったため、86年に美術館としてオープンしたという。当時ホテルとして使われていた一部がレストランになっているが、天井画を含めすばらしい佇まいだ。作品は、1848年から1914年までのものを展示している。因みにルーブルは19世紀前半までのものを扱っていて、国立近代美術館が1915年以降のものと住み分けされているということだ。よく知られた絵が次々に目の前に現れるのには、全く驚くばかりだ。

 

朝市

マルモッタン美術館とそこで買った来年の暦に載っているモネの絵(観てきたもの)

 

右がオルセ左がルーブル美術館、出入り口と内部、レストランの天井

 

数々の名画のごく一部

 

 29日(日)シスレーが愛したモレ・シュル・ロワンの村と、ミレーが住んだバルビゾン村などに行って来た。

パリ東南郊外にあるモレ・シュル・ロワンはロワン川沿いにある古い村で、12世紀頃の城壁や教会のあるとても素敵な村だ。パリからバスで、1時間半ほどだ。城壁間は300メートルほどでこれがメインストリート、その側をロワン川が流れている。ここに印象派の画家シスレー(1839-1899)が住んでいて、付近の絵を残している。村に、彼の胸像が建っている。

そこから30分ほどでバルビゾンの村に着く。ここは、あのミレー(1814-1875)が住んでいたところ。そして昭和天皇がお食事をされたレストランやエリザベス・プリンセスが泊まったホテルもある由緒のある村だ。途中、フォンテェンヌブロー宮殿とその森を歩いた。

この近くには、黒田清輝や浅井忠が住んでいたグレの村もある。特に、黒田に因んでKroda ストリートと名付けた通りもあるという。彼は「読書」でサロンに入選している、という。

夕食後、モンパルナスタワー59階(107m)からの夜景(22時)を楽しんだ。

今日はフランスで、欧州憲法の国民投票日で、夜11時半現在のテレビでは、ノンが55パーセント前後で、シラク大統領が進める欧州統合に赤信号がともりそうな形勢のようだ。行方が気がかりというところだ。

日曜日とあって、ポーランド教会も礼拝の人で賑わう、母の日で、お花やさんも大賑わい

 

 

ロワン川越しのノートルダム教会、日曜画家、大きな水車もある、城門、教会、ミサ、シスレーの胸像、シスレーの住んでいた家とプレート

 

     

バルビゾン村の中心街、ミレーが住んでいた家、昼食を摂ったレストラン(2枚)、フォンテェンヌブロー宮殿、その森とシスレーとルソーのレリーフ

    夜景(エッフェル塔・その右奥に凱旋門、その手前がアンバリット)

 

 30日(月) ノートルダム寺院を観てセーヌ川クルーズをした。

昨夜来の雨はほぼやんだが、風もある上とても寒い。一気に冬に逆戻りという感じ。そんな中でのクルーズ(1時間ほど)は客も少なく、デッキでは手もかじかむような寒さで、あまり楽しめなかった。

ノートルダム寺院は1163年から200年ほどかけて完成したという。壮麗なゴシック建築に圧倒される。1804年12月2日には、ローマ法王ピオ7世がナポレオンの結婚式をここで挙げさせたという。

夕食に行きながら、ヴァンドーム広場へ行ってみた。ナポレオンがロシア・オーストリア連合軍から奪った1250門の大砲を鋳造して造ったといわれる記念柱が目を引く。高さは44mで、ナポレオン像が立っている。広場に面したパリでもっとも豪華ホテルといわれるリッツ・ホテルの前には紋章付きのロールス・ロイスが横付けされていた。ココ・シャネルは、広場に面したスイートに住んでいたという。

 

寺院の前にあるフランスの道路元標、内外部、14世紀の浅浮彫(キリストの誕生場面)

 

左にある船でクルーズした、船上からのノートルダム寺院、アレキサンドル3世橋とグラン・パレ(1900年のパリ万博の時、鉄とガラスで造られた)

 

 

皇太子広場(現天皇が皇太子時代に訪れたのでこう呼ばれている)、広場に面したこの15番地にイブ・モンタンとシモーヌ・シニョレが住んでいた

 

ヴァンドーム広場、記念柱の周りにはこのような彫刻が置かれている、リッツ前のロールスロイス(ドアーにある紋章)

 

 31日(火) ノートルダム寺院の展望、アンバリット廃兵院、ロダン美術館を観た。

今まで一緒だったツアーの一行は、昨夜の便で帰国したので、今日からは二人での、気楽な旅となった。

再度ノートルダム寺院に行って、螺旋階段を上って(有料、67メートル)向かって右の鐘楼の屋上から、パリ市内の展望を楽しんだ。上方は交互通行となるので、入場規制されて40分くらい並んだ。それでも、眺望の素晴らしさに、その苦労も報われた。降りてきたら、その行列は3倍くらいにのびていた。もう一度内部に入って荘厳な雰囲気にふれてきた。

また、オープンツアーバスを使って、アンバリット廃兵院まで行き、ナポレオンの柩と対面、これまた壮大な施設に驚かされた。

その後、隣にある、ロダン美術館で彫刻を楽しんできた。

外観、聖母マリアのボルタイユ(1210-20、上段は天上世界での戴冠式、中段は死と復活の場面、下段は契約の柩を中央に置いた司教や王)、聖アンナのポルタイユ、最後の審判のポルタイユ( 上段に最後の審判者キリスト、中断は裁く場面、下段は復活の場面)、すり減った石の階段、眺望3枚、鐘(重さ13トン)、祭壇のピエタ像

 

アンバリット(ルイ14世が傷痍軍人や退役軍人のための施設として1670年代に建てた。その後、1840年にセントヘレナ島から帰還したナポレオンの遺骸を安置した)、内部(下は、その柩)

 

ロダン美術館(ロダンが晩年を過ごした邸宅を美術館としたもの)、カレーの市民、考える人(大きいのが外にもある)

 

オープンツアーバスからの眺望(アレクサンドル三世橋付近、コンコルド広場)、オペラ座ガルニエを後ろにして、ルーブル大通りを見る

 

 1日(水) ルーブル美術館で絵と彫刻を鑑賞した。

ここは、下の写真のようにコの字型になっていて、半地階と上は3階となっている。写真右がデウノン翼(Denon)で、半地下が彫刻、1、2階にフランス・イタリア絵画が展示されている。ここで、目もくらむばかりの絵画と、ミロのビーナスなどの彫刻を観てきた。

 

ホテル(HOTEL BURGNDY)の窓(2階)からモルゲンロートに染まる建物(朝、6:09分、因みに日没は21:40分)。左の写真は南側で、見える広場はポーランド教会の庭、右の赤く染まっているのはマドレーヌ寺院で北になる。ホテルからルーブルまで(東南)は歩いて20分ほど。そしてコンコルド広場(南)とオペラ座ガルニエ(東)までも10分ほどと、とても便がいい。

 

写真の右側の建物がデウノン翼(左はリシュリュウ翼ーRICHELIEU、奥がシュリー翼ーSully)で、ガラスのピラミッドの地下が入り口になっていて、そこから絵画を観るために上っていくと、写真右の有名なサモトラケのニケ像に出る。フォーンガイドが5ユーロなので借りにいったら、パスポートの提示を求められ、コピーは駄目といわれ諦めた。日本語の館内案内図は入り口においてある。

 

   

1枚目はモナリザ(画面中央)を見る人でごった返す、最後は、この美術館改装中に現れた古いルーブルの遺構

 

 2日(木) モン・サン・ミッシェルへ行って来た。

ここはパリの西方約350キロのところ、ノルマンディー地方にある。バスで往復9時間ほどだったが、流石有数の観光地、年間150万人も訪れるという。ここの常住人口は50人ほどだというのを聞いて、驚く。円錐型の岩の周囲に教会・修道院・ホテル・おみやげ物やなどが所狭しと建っている。9世紀に建設が始まり、幾多の変遷を経て今の姿になったということだが、修復の度にそのときの建築様式を取り入れているので、とても興味深い。今は陸続きになって車で駐車場には入れるが、これを取り壊して、元の姿(海に囲まれた島)に戻すことが決定されたという。何とここは潮の干満の差が15mもあるという。行ったときはちょうど引き潮の時で、対岸まで砂浜が続いていた。ここは11〜12世紀のイギリスとの100年戦争の砦となったが、落ちなかったという。そしてその時の臼砲(イギリスのもの)が入り口に展示されている。城門には、落とし格子や跳ね橋が当時のまま残されていて、これは珍しい。各地に城門はあるが、落とし格子が付けられたままのは見たことがない。

 

全体が要塞のようだ、100年戦争の時の臼砲(これは飛んでいった砲弾が破裂しないのでこのようにいうということだー1343年のもの)、城門(この写真では、跳ね橋の鎖はよく見えるが、落とし格子は見えにくい)

 

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上に上らなければ礼拝堂に着けない、天井は木製(軽くするためのもので、500年経っているという)、砂浜が見える、ロマネスク様式の回廊、ゴシック様式、礼拝堂(ゴシック様式)

 

 3日(金)ラ・サントシャペル、ラ・コンシェルジェリ、ルーブル美術館へ行って来た。

「パリの天気は変わりやすい」というのを、実感した一日だった。朝は快晴、昼頃雷雨、また晴れて、20時頃にまたぽつぽつ雨が…。ということで、今日予定していたヴォージュ広場からピカソ美術館には、行きそびれてしまった。その代わりに再度ルーブルのシェリー翼と、リシュリュー翼でフランスとフランドル地方の絵画を見ることができた。

朝、ホテルから40分ほど歩いて、ノートルダム寺院近くの「ラ・シャントシャペル」へ行った。ここは、パリ警視庁と裁判所に囲まれた中庭にある教会だ。従って入場するのに身体検査が厳しく空港並だった。1246年の建築で、2階にある王家礼拝堂のステンドグラス(四方がステンドグラスだ)パリ最古で、面積は618uもあるという。その素晴らしさは、筆舌に尽くしがたい。

裁判所を挟んだ隣に「ラ・コンシェルジェリ」がある。14世紀に建てられ、国王の居城に使われたが、14世紀中に監獄として使われるようになって、フランス革命の時には、マりー・アントワネットやダントン、ロベスピエールを始め、多くの人が断頭台に送られたことで知られている。そのまりー・アントワネットがギロチンにかけられるまで(1793年)過ごした独房を観てきた。ウィーンのハプスブルグ家から嫁いできて、無邪気なだけだった彼女の悲運に涙を誘われた。

雷雨にあったのでホテルに戻って、昼食のあと歩いてルーブル美術館に行き、先日観られなかった、シェリー翼とリシュリュー翼で絵を鑑賞した。この前、パスポートがなくて借りられなかった「イヤーホーン・ガイド」を借りたのだが、パスポートと引き替えに貸すというシステムに違和感を覚えた。それを返すとパスポートを返却してくれるが、一寸不安に思った。5ユーロもとるのに…と思ってしまう。金曜日のためか、21時半までオープンというのは、とてもいいと感心した。そのため、ゆっくり鑑賞できた。

 

ラ・シャントシャペルの入り口、左が教会で右が裁判所、礼拝堂の内部

 

 

マリーアントワネットの独房(ついたて越しに衛兵2人が監視していたという)、彼女を悼んでの礼拝所、外から見た独房

 

リシュリュー翼、ナポレオン広場、ルーベンスのホール、さりげなくフェルメールの絵が2枚ある、ナポレオン三世の居室

 

 4日(土)中世美術館を観た後、ギャラリー・ラファエットで軽食を摂って、オペラを鑑賞した。

ソルボンヌ大学に隣接して中世美術館がある。中世のキリスト教美術工芸品が展示されていて、タピスリー・彫刻などがとても素晴らしい。古代ローマ時代の共同浴場遺跡もあったようだが、見逃してしまった。その後、バスでギメ博物館へと思って乗ったのだが降り損ねてしまい、やむなくギュスターブ・もロー美術館へ、と思って向かったのだが、ギャラリー・ラファエットが目に留まったので、つい立ち寄ってしまって、そこまで、となってしまった。1896年操業という老舗。中央の大きな吹き抜けとドーム天井の素晴ら しさは、何とも言えない。ここの6階がラファエット・カフェになっていて、多くの品揃えから選んで精算して食べるようになっている。安いし、美味しかった。

いったんホテルに戻ってから、着替えて待望のオペラ座ガルニエに向かう。この劇場は、1860年から5000万フランと13年の歳月をかけて完成したという。若干35歳のシャルル・ガルニエの設計で話題を呼んだ。シャガールの天井画を始め、その重厚な美しさには感嘆する。バスチューユに新オペラ座が出来てからはバレー専門の劇場になって、今日のように偶にオペラの上演をするという。この日の出し物はモーツアルト晩年の作「皇帝ティトスの慈悲」だ。先帝の娘に唆されて友人でもある皇帝の暗殺を企てたセスト達を、苦悩の末許すという結末の劇だ。舞台装置も衣装もとてもシンプル、でも出演者の素晴らしい歌唱に満員の聴衆は、やんやの拍手喝采で応えた。あらすじをネットで調べていったので、歌そのものの意味は分からなかったが、場面ごとの内容は理解できた。素晴らしい一夜だった。ホテルまで歩いて帰ったのが、夜中の11時だった。カフェはまだ開いているし、人通りも結構あり、不安は全く感じなかった。

 

中世美術館の入り口、15世紀のタピスリー(貴婦人の入浴図・一角獣と貴婦人)、ステンドグラス(1243年、元はサンと・シャペルにあった「サムソンとライオン」)、バーゼル大聖堂の祭壇前飾り(11世紀前半)、タラスコンのピエタ(1456年頃)、行列用十字架、聖母子像(1400年頃、観音開きの中に彫刻と絵画がある)、展示室の様子、アダム(1260年、ノートルダム寺院の南翼廊を飾っていたもの)

 

ギャラリー・ラファエット外観(道を挟んで、オペラ座)、吹き抜けの様子、これで11,9ユーロ(約1500円)

 

オペラ座の客席とシャガールの天井画、カーテンコール、帰りに見たライトアップされた劇場

 

 

 5日(日)オリンピック誘致(2012年)のイベントを見て、その後、ベルサイユ宮殿を観た。

一夜にして、シャンゼリゼ大通りがスポーツ広場に変身しているのには吃驚した。昨日の午後には車が行き交っていたのに、プールや陸上競技など各種競技場が出来て、そこで競技をしているのだ。そして人出がすごい。フランスは個人主義の国といわれているが、いざとなったときの組織力はすごいと実感した。救護施設や案内所、警備の警官の配置など過剰と思えるほどだ。ゆっくり楽しむことが出来た。そして、誘致にかける政府の意気込みが伝わってきた。

午後はバスでベルサイユ宮殿を見学した。ヨーロッパの黄金時代の頂点を体現するモニュメント(1661-1710年)といわれているだけあって。その壮麗豪華さに、目を奪われる。平家の没落を見るまでもなく、栄耀栄華はいずれ衰退する。マりー・アントワネットは革命軍がきたときには寝室にいたという。まさか数年後にはギロチンに掛けられるは思わなかったろう。彼らと一緒にベルサイユ宮殿に戻ったのだ。

通り脇の公園の五輪マーク、しゃんぜり通りも大賑わい、重量挙げ、テコンドウの試技、乗馬、陸上競技場、巨大なルイ・ヴィトンのバッグ(店は工事予定らしい、帰宅したら新聞(東京 06/06)に報じられていた

 

宮殿と宮殿庭のルイ14世(この宮殿を造った)像と部屋に置かれた像、豪華な部屋(4枚目は、マりー・アントワネットの寝室、次のは鏡の間)、マリー・アントワネットの油絵(描かれている子供達も悲運な生涯だったという)

 

 7日(火)思い出のパリを胸に、昼頃無事帰宅した。このページをご覧いただいた皆さんに感謝いたします。

ホテルを9時45分に出て、空港へ10時半、そして13時15分のエール・フランス機に搭乗。翌7日朝8時半に成田に着い

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雑感 

1 パリ観光で便利だったもの

  オープン・ツアーバスとカルトミュゼ

  

オープン・ツアーバスは写真のように2階建てで、屋根がないので、雨さえ降らなければとても快適だ。乗るとき運転手からイヤーホーンを借りて、座席横(上)についているジャックに差込み、日本語を選び(6だった)音量を調節すれば、走りながら見所を解説してくれたり、停留所を案内してくれる。路線は4コース(写真中、パリ本、モンマルトル、モンパルナス、ベルシーコース)あり、接続停留所で乗り換えが出来る。10から 15分間隔で運行している。チケットは乗るとき買えば一日有効でどのコースにも自由に乗れる。私は日本で二日間有効のチケット(写真上)を数枚買っていった。乗るとき、運転手が乗車日を入れる。これが可成りいい加減で、入れなかったり、ペンを持っていないので貸せといわれたりした。このバスは、パリ市も資本参加しているという。そして将来、観光バスでの観光を規制して、このようなバスで観光するようにしていく方針だという。事実、今でもノートルダム寺院などは観光バスで行くと寺院の前では乗り降りできないで、歩いて5−6分かかるソルボンヌ大学付近からいくことになっている(以前は寺院の前に停められたという)。このバスで行くと、寺院の前で乗り降りできる。

カルトミュゼ(写真下のチケットで、5とあるのは5日間有効)は、ルーブルを初めとする多くの(パリ市内40カ所、イルド・フランス地方が22カ所)美・博物館に自由にに入場できるチケットで、5日間有効のを日本で買っていった(8,100円)。とても便利だった。

 

2 カフェ フーケ(Fouquet's)

 
       

 

この店は、シャンゼリゼ通りに面して凱旋門を望むところにある。赤い日除けが目を惹く。道を挟んで凱旋門よりには、ルイ・ヴィトンの店があるが、工事予定ということで、巨大なバックが飾られている。オリンピックの誘致イベントを見に行った時、疲れたので寄ってみた。クラブサンドウィッチがとても美味しかった(勿論ビールも)。写真のもの全部で40.2ユーロ(葯5000円)だったが、それだけのことはある。1901年創業とパリでも屈指の老舗で、レマルクの小説「凱旋門」等にも登場しているという。そんなことは知らずに入ったのだが、帰宅して昭文社発行「パリ エレガントな華の街」を見たら、「名門カフェで古き良き時代をしのぶ」というページに出ていたので驚いた。
3 人との距離

少ない経験(パリとシャモニー)からだが、フランスにいると人との距離感が実に心地よい。多くの人種の人が同じホテルや店で働いているし、観光客だからとか日本人だからというような見方もしない。余計なお節介も、また、無視するわけでもなく、その距離感が誠に心地いい。当然、尋ねれば教えてくれる。

 
 
4 ツアー会社 (株)ワールド航空サービス

 久しぶりにツアーに参加して行って来た。きっかけは、昨年スイスの古い街(フリブール)に行った時、この会社の添乗員さんとお話ししたことからだ。駅を降りたとき見かけて、また途中で見かけたので声をかけてみて、滞在型の旅スタイルだというのを知ったからだ。そして今年初めて参加してみて、この会社の行き届いたサービスに感心した。20回目の参加という方もおられ、納得した。添乗員のK氏も、とても気配りが良く、安心して旅が出来た。