5−10 三つの文化の街 トレド
タホ川に囲まれたトレド市
トレド市は「三つの文化の街」として知られています。つまり、キリスト教徒。イスラム教徒、ユダヤ教徒が長い間共存し、それぞれが遺した文化は独自性を保ちながらも一つに溶け合って、この街に独特の雰囲気を作り上げてきたのです。−スペイン政府観光局資料から−
左から、旧市街(左に大聖堂、右は、アルカサール)、ビサグラ新門−1550年に造られた−、ビサグラ新門の続きの門、太陽の門(ビサグラ門を入ってからこの門を通って旧市街へ入る)
左から、トレドの中心ソコドベール広場、広場を行く観光用のバス、城壁から見た新市街
大聖堂
大聖堂
スペインのキリスト教首座大司教座であり、スペイン・カテドラルの中でも最も大きな規模を誇る。1227年、フェルナンド3世によって着工され、完成したのは1493年。フランス・ゴシック様式を基調にした壮大な聖堂の中には、彫刻、絵画など、宗教芸術が数多く展示されており、優れた美術館としての価値も持っている。−わがまま歩き「スペイン」から−
サント・トメ教会
サント・トメ教会と 右エル・グレコの「オルガス伯の埋葬」−トレドで買い求めた「トレド−歴史と芸術」から転載
サント・トメ教会には、エル・グレコの「オルガス伯の埋葬」が展示されていた(残念ながら、写真は撮れない)。彼の最高傑作の一つと言われているようだ。
エル・グレコの家
エル・グレコの家とその絵
1541年、ギリシャのクレタ島生まれで、本名はドメニコス・テオトコプロス。エル・グレコというのは、スペイン語で「あのギリシャ人」という意味のあだ名である。彼は生涯、スペイン人がつけたこのあだ名で呼ばれていた。
グレコの作品の特徴の一つは、登場する人物が小さな顔と引き延ばされたような長い体を持っていること。そしてその作品は独創的な手法・構図を駆使しながら、幻想と写実主義を見事に調和させた宗教画が多い。現在ではベラスケス、ゴヤと並んでスペイン三大巨匠の一人に数えられているだけではなく、「最も純粋なスペインの魂」を表現しているとさえ云われている。
当時グレコが住んでいたといわれる邸宅を改装し、そのアトリエに作品を展示している。−わがまま歩き「スペイン」から−
エル・グレコ 「トレド全景」
タラベラ病院の依頼によって制作されたもので、画面中央に雲に乗せた形で病院の建物が描かれている。画面の左手には、トレドの農産物とタホ川の源が女性の姿で表され、空には天使に護られて降下する聖母が見られる。画面右手の少年は、恐らくエル・グレコの息子ホルヘ・マヌエルであると思われる。手に16世紀当時のトレド市の地図を持っているが、その細密さには驚かされる。
−絵・文とも、トレドで買い求めた「トレド−その歴史と芸術」から− 写真は撮れたが、ボケボケで残念…ということで、これを使わせて貰った。とても大きな絵だった。
タベーラ病院
1541年に枢機卿タベラによって着工され、スペイン内戦後は付属の美術館が増設されいる。エル・グレコ最後の作品と作品と言われる「洗礼を受けるキリスト」を始め貴重な絵画・彫刻が展示されている。−わがまま歩き「スペイン」から−
タベーラ病院
市内風景