勝手にパリ百景  その2 街は芸術

 

1 街並み

建物の姿形が整っていて、通りが四通八達している。同じような感じを受けて迷うこともあるが、しっとりした落ち着きを感じる。

(上段左から) オペラ通り(オペラ座を背に通りを見通したもの。突き当たりはルーブル)、カプシーノ大通りをゆく通勤の女性と、有料トイレ(オレンジ色の女性の脇−0.4ユーロ −50円位)。

路地の様子(突き当たりはマドレーヌ寺院)だが、ここは一方通行で写真のようにぎっしり駐車しているが、 時々警察のレッカー車が来て、車を運んでいった(2回ほど見た)。違法駐車だったのだろうか。

9 ノートルダム寺院からの街並み、日本食の店が多い路地(オペラ通りを入ったところ)、シテ島の西端にある皇太子広場と住宅街

 

2 モニュメント

(1) コンコルド広場

この広場から西にシャンゼリゼ大通りが真っ直ぐ延びている。その先は、凱旋門だ(中の写真、下部中央に小さく写っている)。そして東にはチュイルリー公園を挟んでルーブル美術館がある。

1793年1月21日にはルイ16世がギロチンの露と消えた場所でもある。そして、あのマリーアントワネットも同じ運命をたどった。フランス革命時には2000とも3000人とも云われる人達が、ここでギロチンにかけられたのだ。

写真のオベリスク(高さ23m、重さ220t)は、1833年にエジプトから贈られたもの。紀元前13世紀に建造されルクソール神殿に建てられたものだという。台座には写真のように移設の様子が描かれている。二つある噴水は、ヴァチカンのサンピトロ広場のそれを模したもの、という。

 

(2) バスチューユ広場

バスチューユ広場といえば、1789年7月14日、ここにあった監獄が襲撃されて、あのフランス革命の端緒となったことで知られている。今では、1841年に7月の円柱(下の写真)が建てられ、1989年にはオペラ・バスティーユ(写真の円柱の左の建物)が建てられシンボルとなっている。

 

写真左、革命で犠牲になったパリ市民のため建立された「7月の円柱」。高さ52m、直径4m、重さ140tのブロンズ製。右は基壇で、4隅には雄鳥が置かれ、西側にはライオンの彫刻、他の三面には7月革命で活躍した3つの党派のシンボルが彫り込まれている。

基壇の地下納骨所には、、7月革命と2月革命の犠牲者達が、埋葬されている。円柱には、1830年7月27−29日の”栄光の3日間”−と呼ばれる激しい市街戦で命を落とした504人の市民の名が刻まれている。さらに、1848年の2月革命の犠牲者196人の名がここに加わった。−JTB 街物語 パリ−から

 

(3) ヴァンドーム広場

この広場に面して”リッツ・ホテル”がある。ここを利用した人を挙げると、ココ・シャネル、へミングウエイ、ガルボ、チャーチル、ルーズヴェルトなど枚挙に暇がないという。

この広場が出来たのは、1720年で、ルイ14世の騎馬像が据えられていた。この騎馬像が革命によって破壊された後、今のは、ナポレオンが建立したもので、高さ44mもある。アウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍から奪った大砲1250門から鋳造したという。頂上にあるのは(写真右)、ナポレオン像。台座(写真中)には、古代ローマ風の戦場場面が描かれている。

 

(4) 聖女”ジャンヌ・ダルク”像

フランスは危機に瀕すると救国の女性が現れるという。その一人が、この有名なジャンヌだ。残念ながらもう一人の名は、忘れた。以下、村松 剛著 「ジャンヌ・ダルク」 中公新書に拠った。

ジャンヌ・ダルクの石像や銅像の立っていない町を、フランスで探すことは難しいのではないか。(中略) ジャンヌは、−ナポレオンと共に−今でもフランスで、最も大衆的人気の高い人物である。至る所の町の広場、殆どあらゆる教会に、彼女は立っている。

5月のジャンヌの祭りの頃、教会の内陣の一隅に剣を手にして佇む彼女の前には、灯明の蝋燭の火が、絶えることなく燃え続けている。(中略)フランスの片田舎に育った20歳にもならない娘が、一人で王宮に行って王太子とその幕僚とを説得し、高僧達を説得し、許されて軍の先頭に立った。百姓娘は将軍達を叱咤して兵を進め、常勝のイギリス軍は崩壊した。

ジャンヌが異端の罪に擬せられ、処刑されたのは1431年5月30日だった(19歳−ジャンヌの生まれたのは推定で、1412年1月)。ジャンヌは燃えさかる焔の中で、「イエス様」と叫びながら死んだ。可憐な少女を火あぶりにすることの残酷さと、とりわけ彼女が紅蓮の炎の中で、最後まで「イエス様」と叫び続けたそのことは、見る人々に大きな衝撃を与えた。

1456年7月、やっと彼女は復権し、そして法王庁が聖者の列に加えたのは、1920年のことだという。

 

写真左から、サクレクール寺院に立つジャンヌ像(二枚目の写真右の像)、もう片側には聖王ルイ像(同左)、ノートルダム寺院内にあるジャンヌ像、サントノレ通りのジャンヌ像

 

(5) 自由の女神像と子午線の標識

この自由の女神像を見たのは、セーヌ川クルーズの時だ。場所はよく分からない。帰国後調べたら”白鳥の小径”にある(マップル パリ)、と記載されているだけでよく分からない。フランスが、あの有名なアメリカの自由の女神を贈った時のミニチュアだという。

右の子午線の標識は、市内の南にあるモンスリー公園内にある。

 

気分はパリジャントップ    セーヌは流れる