クールベの部屋

オルナンの埋葬(315×668cm) 1849-50年

自分が暮らす村の住人達の肖像画を作ろう。農夫たちのイメージを歴史画の規模で描いてみよう。画家クールベが取り組んだ課題はそれだった。それに伴う苦労について彼は書簡の中で次のように述べている。「1849年10月30日、アトリエの問題が解決。父が可成りの広さのアトリエを作ってくれた。ただ、窓が小さすぎた。[中略]私は直ぐに窓を3倍の大きさにして貰った。お陰で外にいるのと同じように全てがはっきり見えるようになった。」、「11月26日、やる気十分。まだ20ピエ2プース分の絵を描かなければならない。登場人物は30人か40人分だ。」、「1850年2月から3月にかけて総括の準備。皆がモデルになってくれた。村長、主任司祭、治安判事、十字架捧持者、公証人、助役、私の友人たち、父、聖歌隊の子供たち、墓掘り人、1793年の革命当時の服装をして貰った老人2人、犬、死者とそれを運ぶ担ぎ手たち、聖堂の番人たち(番人の一人はサクランボウのように赤くて相当に大きな鼻をしており、その長さは5プースもあった。[後略])」、「7月31日、展示。オルナンの農夫たち2000人が私の絵画を見に来てくれた。」

-オルセー美術館見学 ORSAY -から

 

    画家のアトリエ−わが芸術生活にわたる一時期を定義する現実的寓意画(361×598cm)  1854-55年

ユダヤ人、主任司祭、1793年の共和主義者、狩人、草刈り人、力技の大道芸人、道化役者、古着屋、労働者の妻と労働者、葬儀人夫、頭蓋骨、アイルランド女性、モデル…。これがクールベが絵の左手に描いた登場人物だ。彼の記述によれば、右手には何人かの友人、美術愛好家、哲学者、批評家、恋人数名、それに当然のことながら詩人のボードレールがいたという。彼は「これは私のアトリエで繰り広げられた肉体と精神の歴史なのだ」と1854年に述べている。「ここに登場する人々は生と死に真剣に対峙している。上流社会、下層社会、そして中流社会で生きている。一言でいえば、その社会が何に関心を寄せ、何に情熱を傾けているのかを知るための私流のやり方だ。世界が描いて貰おうと私のアトリエはくるのだ。」

-オルセー美術館見学 ORSAY -から

 

世界の起源(46×55cm) 1866年

クールベの裸体画は、全く羞恥心を感じさせず、また神話とは無関係の題材を解剖学に基づいて描いているため衝撃的であるといえる。しかし密かに描かれたこの『世界の起源』はそれは当てはまらない。この作品は展示目的ではなく、世俗的で性的なイコンを集めることに関心のあったトルコの外交官カーリル・ベイのために制作されたものだからだ。クールベはこの外交官のために、かって絵画の世界では例のないクローズアップの手法でイメージを強調し、凝縮してみせたのである。

-オルセー美術館見学 ORSAY -から

 

気分はパリジャントップ      モロ、シャバンヌ