モローとシャバンヌの部屋

 

二人の画家が、水辺や水の中の女性という昔から扱われてきたテーマに挑戦したが、彼らのそれぞれのアプローチはかなり異なっていた。一人は、ゆったりと衣を纏った下半身と裸の上半身の図像を青い輪郭線が取り囲み、背景となるこの世のものとは思えぬ色の水平線を持つ海からその青白いフォルムを浮き立たせる手法を採った。もう一人は、神話の中にでてくるガラテを使うことにした。やつれはて不吉な運命を予告するような姿で、海草や珊瑚やアネモネの花がちりばめられた海辺の洞窟の中に座ったこの海のニンフを、愛に狂ったキュプロクスのポリフェームが不気味な感じで見つめている。どうみてもピュヴィス・ド・シャヴァンヌとモローには共通点は見いだせない。しかし、両者の多様な表現方法を同時代の人々はやがて一纏めにして象徴主義と名付けた。

-オルセー美術館見学 ORSAY- から

 

シャバンヌ  海辺の娘たち(205×154cm) 1879年

 

モロー  ガラテ(85×67cm) 1880年

 

シャバンヌ  貧しき農夫(155×192cm) 1881年

ところで、近代第一の壁画家となったシャヴァンヌのタブローとしての代表作がこの『貧しき農夫』である。静かな入り江の畔で、貧しげな身なりの漁夫が網をおろしているが、漁夫は手を組み、頭を垂れて、じっと祈るようにたっており、岸の上では漁夫の妻と子供が無心に花を摘んでいる。このコントラストがいやが上にも生活の貧しさをみなぎらせ、あきらめにも似た漁夫の孤独な姿には人生の寂しさが凝縮されているようだ。(中略)シャヴァンヌの壁画が醸し出す繊細なリズム感、線条の表現価値への感覚、瞑想こもる瀬弱な雰囲気などは、スーラとゴーギャンに大きな影響を与えたが、我が国の近代洋画の基礎を据えた黒田清輝も、滞欧留学の成果として描いた裸体画『朝妝』(1893年)をシャヴァンヌに認められ、新サロンへの入選を帰国土産としている。

−朝日美術鑑賞講座 8 19世紀近代絵画 B 匠 秀夫−から

 

モロー  オルフェウスの首を持つトラキアの娘(154×99.5cm)  1865年

(前略)とりわけ1866年のサロンに、他の三点の作品と共に出品したこの『オルフェウスの首を持つトラキアの娘』は、政府の買い上げとなり、リュクサンブール美術館に飾られることになった。1870年以前のモローの最も重要な作品である。

(中略)

初期フランドル絵画のように板の上に精密なマティエールで描かれたこの作品には、レオナルドを連想させる神秘的な雰囲気が漂っている。特に背景の風景表現−画面左半分を占める東洋の山水画のような奇怪な岩山、その裂け目から遠くに見える青みを帯びた氷河の流れ、右手の蛇行する川と薄黄色に輝く空−にそれは著しい。首を傾げ目を伏せた物憂げな様子の娘は、非常に美しい衣装を着ている。その空色と緑色の衣が、背景と植物や風景と溶け合うような色調を持つとすれば、胸元を可憐な花で飾ったマントの黄と赤は、竪琴の精巧な装飾の色とひとつになってそれを抱き寄せる。竪琴の上に載ったオルフェウスの血の気の失せた首は、この絵の最も驚異的な独創で、コーティエが「ヘロデアの手にわたった盆の上の聖ヨハネの首のように」と書いたように、その後の象徴主義に大きな影響を与えることとなったのである。何れもプロフィルで描かれたこのふたつの頭部の間の親密な相似、この心で閉ざされた目との無言の対話こそ、内面の思想を見つめ、また死を超え、時代を超えて受け継がれてゆく芸術の永遠性というモローの−そして象徴派の−根本的なテーマを表している。

−朝日美術鑑賞講座 8 19世紀近代絵画 B 太田泰人−から

注:題材はオルフェウスの神話に基づいている。

 

 

気分はパリジャントップ     ミレー他