4 私のルーヴル  17 両替商とその妻、レースを編む女

 

「両替商とその妻」

クエンティン・マセイス 1514年 板・油彩 71×68cm

場面はいまだ中世的な雰囲気が残る16世紀初期のフランドルの両替商の屋内である。厚い緑色のカバーを敷いたテーブルの前で、暖かそうな服を着て被りものをした両替商が天秤で金貨を慎重にに量っている。その横ではヴァン・エイクの女性を思い起こさせる瀟洒な身なりをし、頭に白い頭巾をし、夫と同じように被りものをしたその妻が、時祷書のページをめくる手をふと止めて夫の手先を見つめている。

二人の画面に対して平行に、三角形を形作るかのように寄り添い、左右に対称に配置されており、それが手前テーブルの水平線、そして背景のモティーフの水平、垂直の線とともに画面に安定感を生み出している。色彩は、夫の服と妻の襟と袖口の毛皮の灰色がかった青が、また妻の服と夫のシャツの袖口の赤が呼応しており、同様に二人の被っているオリーヴ色と茶色の帽子もテーブル・カバーと背景の戸棚の色と呼応している。

両替商の妻は、まるで時祷書の言葉や聖母子の細密画より現世の財物に注意を奪われているように見え、そこに道徳的批判の精神を読みとることが出来る。或いは夫と妻に聖と俗の対象を見るものもいる。つまり、無心に金を量る夫が俗を、それを冷たく見つめる妻が聖で、テーブルの上の凸面鏡に映る、十字架の形をした窓とその外に見える教会の尖塔を背にした信心深い読者と、右奥の戸の外にに見えるおしゃべりに興じる二人の対照的な姿がそれを繰り返している、という説であり、違った視点で、教訓的意味合いを見ることが出来る。

17世紀のダン、フォルネンベルクが報告するところによると、、この絵の最初の額縁には「汝、正しい天秤、正しい重りを用いるべし」という、画家自身が選んだと思われる、レビ記一九章三五、三六節からの言葉が刻まれていていたという。これは、この絵が、何れにせよ、、単なる風俗画であるばかりでなく、当時商業都市として繁栄していたアントワープに台頭しつつあった両替商に対する、道徳的な批判の意図を持って描かれたであろうことを裏付けている。(中略)

マセイスが、こういった作品の中の主題においても、書き込まれたものにも説諭的な意図や象徴的な意味を盛り込んだのは、ひとつには、ロッテルダムのエラスムスやトマス、モアといった当時の著名な人文主義者達の著作の影響を反映していると考えられる。実際、マセイスがエラスムスと出会っていたのは確かであり、1517年にエラスムスの直接的な指示に基づいて、ヤン・ヴァン・エイクの聖ヒエロニムス図を手本として、書斎における学者としての彼の肖像を描いている(1517年ハンプトン・コート)。−朝日美術鑑賞講座2 16世紀ルネサンス絵画A 新畑泰秀−から

 

「レースを編む女」

ヤン・フェルメール 1669−70年 油彩・画布 24×21cm

色鮮やかな糸がはみ出す道具入れ。その横にある本は聖書であろう。宗教的モラルに彩られた伝統的雰囲気の中で、女は黙々とレースを編む。オランダ風俗画のひとつ、家庭の情景画の伝統に忠実でありながら、自然光が照らす室内で女の指先に視線が集中するような視覚的効果をちりばめるフェルメールの写真絵画法とも言うべき新しい手法によって、絵の中に深い空間が生み出されている。−別冊太陽 ルーブル美術館−から

注:ピント不良です

 

気分はパリジャントップ     ピエロ、アザミを持った自画像