4 私のルーブル  2 モナ・リザ雑感

「モナ・リザ」   レオナルド・ダ・ヴィンチ 1503−06年頃、油彩 板 77×53Cm

正しくは「ジョコンド婦人リザ・ゲラルデイーニの肖像」別称「ラ・ジョコンダ」という−館内で求めた「ルーヴル−700年の絵画の系譜」−から

作者が最後まで手元に置いていたという。そしてルーヴル最初のコレクションでもある。以下、別冊太陽「ルーヴル美術館」西岡文彦による。人間の微妙な表情というものをここまで精緻に描き出してみせた作品は、以後も一点も存在していない。(中略)「モナ・リザ」のように、笑っているとも泣いているともつかず、幸福とも不機嫌ともつかぬ微妙な顔をしている絵は存在しないのである。(中略)無限遠の距離を感じさせて背景に広がる自然の描写も見事の一語。まさに、これぞ名画、である。

田辺 清(朝日美術鑑賞講216世紀ルネッサンス絵画A)によると、次のようになる。「モナ・リザ」の肖像画としての魅力はレオナルドが終生追究した美の普遍性と理想の女性像の頂点の一言に尽きよう。ヴァザーリによれば、レオナルドが雇った楽士や道化師が導いたとされる微笑、優美に重ねられた手がこの肖像画のポイントになっている。特にモナ・リザの「手」は極めて美しく、円熟期ならではの調和が見られる。この顔と同様に心理的な焦点となった「手」について考えるならば、「手のないモナ・リザ」というものは考えられない。数多くあるパロディーでも両手はそのまま描かれている。レオナルドは「絵画論」の中で、肖像画を描く際、画家はそのモデルの心の動きを的確に表現しなければならないと述べ、身振りこそをその鍵としている。神秘的な山水の風景を背景に座る「モナ・リザ」のふっくらとした右手と半ば手の甲を覆われている左手との組合せこそ、レオナルドのいう身振りというものに違いない。

と、記述されている。残念ながら凡人の私には、これがなかなか分からない。他人が良いというから、と、付和雷同的にどんどん名声が高まって…今の状況を生みだした?と、考えるのは、短絡的だろうか。私は単純に、カナの婚礼、ナポレオンの戴冠式、はたまたオランピアもトルコ風呂もいいな…などと、思ってしまう。あんなに厳重にガードして、多くの人が押し掛けるというのは、どうも「変」、と、思うのは私だけだろうか。単なるへそ曲がり?それとも美を解さない、ということだろうか?

専門家にいちゃもんをつけるようだが、西岡説によると、「微妙な顔の表情(嬉しいのか・悲しいのか、幸せなのか・そうでないのか分からない)がいい」、田辺説では「モデルの心の動きを的確に表現している両手がいい」ということになる。それならば、レオナルドのいう「心の動き」がどう顔の表情に現れているのか、また、「ふっくらとした両手」が何を表しているのか、が、凡人の私には分からない。誰か、教えてm(_ _)m。

と、ここまで書いてから、もう一冊本(世界名画の旅 フランス編1−朝日文庫)を思い出して開いてみた。ここで高階秀爾が次のように記している。

レオナルドの美学

レオナルドは、その「絵画論」の中で、人間の顔が美しく見えるのはどのような条件の時かという問題を提起して、「薄暗い住居の入り口のところに座っている人物の顔は、光と影の作用によって極めて美しく見える」と述べている。また「夕暮れ時、天候の悪いときに街をゆく男や女の顔がどれほど魅力的で柔和なものになるかを観察せよ」とも言っている。(中略)光から闇へと移行する中間の曖昧な領域に美は潜んでいる、とレオナルドは考えていた。「モナリザ」は、モデルが誰であるにせよ、レオナルドのこの美学の見事な適用例である。彼女が居るのは、腰壁に囲まれたテラスないしは柱廊のような場所で、背後には遠く広がる風景が見える。もともとこの画面は、当初は左右がもう少し廣く、腰壁の上に天井を支える柱があったと考えられているから、まさに内部と外部の中間の場所である。そして時刻は夕暮れ時。そういえば、あの謎めいた「微笑」も、笑っているのかいないのか分からない曖昧のゆえに、一層神秘的な美しさを称えているのである。

これは分かり易い。本質をついているかもしれない。レオナルドは曖昧さの中に美があり、高階氏は「モナ・リザ」はその見事な適用例、だと言っているのだ。我が国にも、「夜目、遠目、傘の内」が、女性が美しく見えるというのがあるが、まさにレオナルドの考えと同じだ。美の本質は洋の東西を問わないということか。

注:写真は、堅固なプラスチック板(或いは、ガラス)に照明が反射しているので、鮮明でない

 

その絵を見る人達でごった返している。他の展示室の状況を見ると、異常に人が多い。この絵の展示室までは、各所に”モナ・リザ”は←という案内標識がある。今年の4月3日までは、もっと狭い部屋に展示されていた。この広い部屋に移るのには、日本のTV局の資金援助があった、というのを、何処かで見た気がする。ところで肝心の「モナ・リザ」の在処は?お分かりでしょうか。写真中央の人の頭の上にあるのです。ここは、フラッシュ厳禁なのに、多くの人が平気でフラッシュを光らせて記念撮影をしていた。そして、この部屋には係り員は居なかったような気がする。何でだろうか?

 

気分はパリジャントップ     館内風景