4 私のルーヴル  4ナポレオン

 

「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠−1804年12月2日」 

1806年−07年 ジャック・ルイ・ダヴィッド 油彩・画布 621×979cm

 

 

その部分と、展示の様子

額縁に書かれている主な人物像

 

1804年12月2日パリのノートル・ダム寺院で行われた儀式により、ナポレオン一世はフランスの皇帝となった。ローマ法王ピオ7世によって「聖別」のみを受けたナポレオンは、自らの手で月桂樹の冠を頭に載せている。何故、法王から冠を戴かなかったのかといえば、それはこの権力は神から授かったものではないという意思の表明であった。つまり、王と教会とのこれまでの関係に終止符を打つためのデモンストレーションだったのである。

ところが、ナポレオンからこのときの絵の依頼を受けたダヴィッドは、ナポレオンからジョゼフィーヌへと冠を授けるシーンを描いた。それは何故だったのか?

実は、その謎を読み解く手がかりがつい最近発見された。ダヴィッドの最初の下絵である。そこに描かれていたのは、画家の最初のイメージ=剣を持ちながら自分の頭に月桂冠を載せるナポレオンだったのだ。そして完成された絵全体の構成は、この最初のイメージとほぼ一致している。

ところが、いつの間にか主役の構図が変わってしまった。ここには明らかな作為があるが、それが誰の意志なのか、ナポレオン本人か、ジョゼフィーヌか、当のダヴィッドなのかは、今も謎のままである。 −別冊 太陽 ルーヴル美術館−から

 

「1807年2月9日エイローの戦場のナポレオン」

アントワーヌ=ジャン・グロ 1808年 油彩・画布 521×784cm

1807年2月8日、ナポレオン軍は東プロイセンでロシア軍を破った。このエイローの戦いは容易ではなく、フランス軍の損失は多大であった。この戦いの絵の制作を依頼されたグロは、戦闘終結の翌日を感動的に描いた。皇帝が兵士達を慰問し、また敵の負傷兵に治療を施すよう命じる場面には、ナポレオンの人類愛と寛大さが称えられている。

この後、1812年6月にナポレオンはロシア遠征に踏み切るが、苦戦を余儀なくされた。動員兵70万人のうち無事帰還できたのは3万人のみで、捕虜10万人と死者40万人をロシアの地に残した。そして1814年4月4日、ナポレオン1世は退位した。−ルーヴル 700年の絵画の系譜−から

 

 

「ナポリ王ミュラ」 

アントワーヌ=ジャン・グロ 1812年 油彩・画布 343×280cm

 

「皇后ジョゼフィーヌ」

 ピエール=ポール・ヴリュードン 1805年 画布・油彩 244×179cm

フランス植民地マルティニクの貴族出身で、未亡人だったジョゼフィーヌ・タエル・ドウ・ラ・パジュリ(1763-1814)は、1796年ナポレオン・ボナバルトと結婚。この肖像画はナポレオン戴冠式の翌年、彼女の愛したマルメゾン宮の庭を背景に描かれた。作者プリュ−ドンは、18世紀の優美さの後継者といわれたフランス新古典主義の画家である。フランスのみならず、イギリスでも絶賛される。一方ジョゼフィーヌは、4年後、世継ぎが生まれないという理由で離縁された。−別冊 太陽 ルーヴル美術館−から

暮れかかるマルメゾンの広大な庭園の池の畔、岩に身を寄せ夕日に映える長身の女性は、勿論ナポレオンの皇妃ジョゼフィーヌである。1763年生まれというからこの時42歳。出身地は西インド諸島のマルチニク島のトロワ・ジレという、いわば僻地であったといえる。16歳の時に海軍大尉の父親に連れられてフランスへ渡り、子爵アレクダンロル・ド・ボーアルネと結婚し、二人の子を儲けている。

だが、夫は恐怖政治の時代にギロチン刑を宣告され、彼女もその助命に奔走した。その結果、夫の方は終身刑へと軽減されたが、彼女も有罪を宣告され、いわゆるテルミド−ルの大赦(1796年9月)で自由の身になるという、今日では想像もできない有為転変の人生を歩んでいた。しかし、それ以降はタレイラン婦人に紹介されてパリの社交界で輝かしい成功を収め、時の執政政治の立て役者ポール・ド・バラス子爵の斡旋で(といわれているが)1796年にナポレオン・ボナパルトと正式に再婚している。この作品に描かれているジョセフィーヌは、いわゆる戴冠式の前年に描かれた肖像画であり、必要以上に加筆修正を施されていない素顔の姿を描き出した点で、極めて貴重であるといえよう。

時は初秋であろうか、シースルー状の薄いドレスの軽快な色が、後景の黒紫の樹林や、岩の佇まいの全面に明るく浮き出している。その軽やかさの画面左上の淡い夕映えとも調和して、成熟した女性の肉体に不思議な輝きを留めている。最前景の岩肌は赤褐色の断面を露出し、どこかレオナルド・ダ・ヴィンチ風に微細な草むらの描写と共に、プリュードンの真摯な視線を感じさせずにはおかない。ロココ趣味と古典的な典雅さが程良く調和している。−朝日美術鑑賞講座6 19世紀近代絵画@ 近藤 昭−から

 

気分はパリジャントップ     カナの婚宴