4 私のルーヴル  5 カナの婚宴

 

「カナの婚宴」 

ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアーリ) 1562〜63年  油彩・画布 666×990cm

この絵は、ナポレオンの北イタリア侵攻の戦利品として、1798年、ベネチアからフランスにもたらされた。画布を額縁からはずしてぐるぐる巻き、大木を運ぶようにリボルノ、マルセイユ経由でパリへ。(中略)

1815年にナポレオンが帝位を失い、その軍隊が諸外国から持ち出した5000点にのぼる美術品を元の持ち主に戻す交渉が行われた。(中略)フランスは「カナ」を手放したがらなかった(代わりに、シャルル・ル・ブランの絵「シモン家の饗宴」と交換した)。大きすぎて運搬できないというのが理由だったが、説得力はなかった。同じベロネーゼの作品で、「カナ」より大きい、幅12.8m、高さ5.55mの「レビ家の饗宴」の変換には同意していたからである。

もともと運搬してきたものだし、運ぶ気になれば運べるということは、後にフランス自身が証明してみせた。第二次大戦中、ドイツ軍のパリ侵入に備えて、ルーブルは「カナ」を再びぐるぐる巻いて、ロアール川畔の城に疎開させている。(中略)

「カナ」は、キリストがカナという町で結婚式に招かれ、ただの水を葡萄酒に変えてみせるという、福音書中の最初の奇跡を題材にした絵だ。確かにキリストは聖母マリアと並んで画面の中央にいる。後光もちゃんとさしている。しかし、その表情に、最初の奇跡をやった緊張感は全くなく、うっかりすると存在を見過ごすほど影が薄い。

影が薄いのは左側のテーブルの一団である。ドイツ皇帝、フランス王とその妃、トルコの大王など、その時代の名士をずらりと並べているのだ。中央の楽隊は、ベロネーゼ本人を含むベネチアの画家達である。

現代の批評家の殆どは、ベロネーゼの絵に、「宗教的深みにかける」との評価を下している。その点がレオナルド・ダ・ビンチとの決定的な差で、、「カナ」が、人気で「モナ・リザ」に大きく引き離されている原因もそのあたりにある。−世界名画の旅 フランス編 朝日文庫−から

 

左 部分(テーブルの一団)  右 如何に大きいか(66u−20坪−もある)分かる

 

「エオマの巡礼者」 

ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアーリ) 1559〜60年頃 油彩・画布 241×415cm

 

 

気分はパリジャントップ     メデュース号の筏